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髪を切りに行くのが面倒で

雑記とか趣味とか一般公開されてる自分のメモ帳みたいなものです。Twitter//@srRiLiyou

二本の煙

今、自分の部屋には日本の煙が立っている。吸いかけの煙草と甘ったるいお香。ゴミ溜めと化した部屋の匂いを誤魔化す甘ったるい香り。それを台無しにする煙草。

相変わらず部屋の掃除は出来ず、バイト先のくさい匂いとゴミの匂いが少しでもマシになればと買ったお香はもうそろそろ尽きようとしている。

ファッションに一片の興味を持たない自分はお香の知識など全くなく、量販店に並んでいるお香の中で「落ち着く香り」と書いてあった物を手に手に取った次第。荒んだ心が思い込みでもいいから少しでも静かになればいいなと思って買った。効果はどうかわからないが、小学生の時盆と正月に祖父の家にいた時の匂いがする。その頃を思い出すので落ち着いた気持ちに少しでもなっているのかもしれない。

四月が始まり二週間がたった。高校の同級生は社会に馴染もうと必死でいる。負けたりもしている。大学の同級生は社会の輪に入ろうと必死でいる。負けたりもしている。自分は落としてしまった何かの変わりに何かを掴もうとしている。負けている。

最近は自分と同じ年のバンドを聞いている。彼らは二十代に入る前か入った時には自分の成し遂げたい事を明確にして今を生きているらしい。インターネットの記事でしか知らない事だが。

そんな彼らはとてもいい歌を歌う。自分は一体何をしていたんだと考えてしまう。彼らには才能があるからと言い訳をしてしまう。才能もあるだろうが努力の成果であるのに。自分を棚に上げてしまうのだ、悪い癖だ。

もっと楽に生きなよと携帯の液晶の一文が言う。人から見たら自分の生活は楽に生きているのだろうが自分はどうしようもなく駄目な人間なので楽に感じでいない。

誰かに助けてほしいと思ってしまう。

自分は今の現状に納得いっていないのだと思う。自分で招いた事態であるのに。

決断力と夢がなかった自分は流されるままここまで来ている。これもまた言い訳かも。

それでも、それでも自分はここに居ることが最良だったのかと考えてしまう。もう少し強固な感情があればと思ってしまう。後ろ向きな性格でいるから考えてしまうんだ。この選択は間違っているんじゃないかと。

戦う人へと同世代のミュージシャンは歌う。俺には聴く権利はあるのだろうか?

権利はなくても聴かせてくれ、とてもいい曲なんだ。明日もまた目覚める為に。

www.youtube.com

またあの夢の終わり

君も僕も疲れて

この街にいるなら

いつもの坂の上で待ち合わせしよう

物を面白おかしく伝える人になりたい

自分は面白おかしく色々なことを描ける人が羨ましい。

何も持っていない自分は人間としての厚みもなく、嘘をつくのが下手なのも合わさって表現をする事が不得意だ。

ラインやらTwitterのリプライやらも考えて返してしまうためレスポンスが遅い遅い。実際にあって会話をした場合は笑顔でごまかすことも多い。

自分の話を急にする事ができなくて、自慢話ばかりをする人を疎ましく思う一方羨ましくも思っている。自分には出来ないから。

「俺は最近〜があって、〜して〜をやってやったんだよ! 他にも……」

「そうですよねー、あー、面白いですね、ハハハ」

とても息苦しくなる。俯瞰している自分が『本当は嫌な癖に受け答えしちゃってまあ』と笑っている。

人との付き合いを立てるほど勇気のある人間でも無いのでダラダラと何十回と聞いた話に「それこないだ聞きました」とも言えず。

そんな人間になるまいと思って過ごしているからもっと喋らなくなるのかもしれない。

 

バンド音楽を聴いていて

最近は知り合いの楽しそうにしている様や就活が大変だという不幸自慢を見たくないのでTwitterを閉じてバンド音楽を聴いている。

高校生の頃と比べて新しいバンドを探すという作業にエネルギーを使えなくなっていて、音源も中々手に入らないので自分のライブラリにあるアーティストを聴くかApple Musicで出てくるものを聴いている。

いつも思うのは年齢。才能ある人々は22、3そこらで表舞台に出てくる。

彼らは相当の数のライブをこなして、自分の目標に向けて曲を書き溜めては演奏してを繰り返してきたんだろう。すごい事だ。

そんな彼らを見ていると自分がしょうもなさすぎる。

大した目標もなく、ただただ漫然と目の前の事を受け入れている。こうして誰も聞いてくれない愚痴を書いている時も音楽を流している。

自分自身を表現する彼らは強い感情を持っているんだろう。怒りやら悲しみ嬉しさ憎しみ無力感。

その感情に負けない様に、その感情が爆発しない様に。音楽に加工してアウトプットしている。

俺は無力感や虚無感に負けてしまった。自分程度の人間は何も成せないと。

単純に羨ましいのもある。

 最近大学の先輩がやっているバンドが評価されつつある。といっても狭い地域だけだが。

自分がインターネットで知ったバンドが売れていく様は自分の想像が多くを占めていて自分が思った道を通ったとは限らない。現実感がない。だが先輩のバンドは先輩がどんな人でどんな始まり方でどんな活動をしているかを知っている。

自分はやはりお金を出していくのだから良いと思ったものしか見たくはない。最初の一回は見極めのつもりで行ったが率直な感想を述べるとその時は全く良くなかった。

同じ構成の曲ばかり、目立つミス、空回りしているMC。普段自分が聴かないジャンルだからというのもあったが、ただうるさく退屈で眠たかった。もう行く事は無いなと素直に思いライブハウスを去った。

だが最近そのバンドを見る機会があった。あまり期待せず見に行ったが、これが想像以上に良かった。

曲も同じ構成ばかりではなくなり、自分自身の表現を聴き手側にすんなりと聴かせるキャッチーなものになり、尚且つ自分自身の好きなジャンルの物も取り込んでいる。場数をこなし慣れてきたのか妙に肩肘を張らずに普段人に話しかける様なMC、だけども感情的な一文を話してから始まる曲。純粋にその企画のベストアクトだと思った。

期待していなかったので後ろ側で見ていたが、みるみるとドリンクカウンター側からフロアに人が集まってきていた。

今まで聴いてきたバンドで曲は良いのにライブは良くないというバンドは多かった。そういうバンドはほとんど売れずに解散していった。

俺は先輩らのやっているバンドに可能性を見てしまった。地方だけの幻想なのかもしれないが、成功していくのかもしれないと思ってしまった。

そう思うと自分がどんなに小さくて努力をしていない人間であるのかわかってしまう。吐きそうになるぐらい虚無感に襲われる。羨ましいと叫びたくなった。

雑考

大きな声で笑う人たちが嫌いです。とても下品に威圧しているみたいで心がざわつきます。私は小心者ですので大きな音に驚いてしまって身動きが取れなくなってしまいます。私はヘッドホンをつけて街を歩きます。突然の大きな笑い声も、私を笑う小さな悪口も、何もかもが聞こえなくなるからです。とても安心します。母親の胎の中とはこういう感じなのでしょうか。母親は私を気にかけている気がします。多分気にかけているのだと思うのですが私は否定されている気がしてなりません。私には価値はないのだろうか、などと考えてしまうのです。なので私は母親の胎の中に還ることしました。5cmほどの壁を当てて音を流すだけで外界のすべてがシャットアウトされて気持ちよくすらなってしまいます。どうして私は生まれてきてしまったのでしょう? 意味は特にない気がします。有限であるリソースを食い潰すだけの私は価値がありません。必要とされた事は無いのですからこれからも無いのでしょう。
こんな事を考えながら私は母の胎の中に入ったまま街をいきます。街には色々な人がいます。せかせかと革靴を鳴らして歩く人、この世の終わりを待って空を見ている人、笑いながら電車に飛び込む人、地面に落ちる希望を探しながら歩く人。様々な人がいます。私は気分が悪くなって道端に吐瀉物を撒きます。こんなことなら人なんて存在しなければいいのに。いや、一人一人誰とも関わらないで生きていける場所に逃げ込めばいいのです。くだらないね、と煙草を喫む彼は言います。私は今日も彼に身体を許します。どうしてもヘッドホンを外してしまうのでとても不安にはなるのですが人肌に触れることによって子宮の中を感じる事ができるのでトントンです。彼はまた煙草を喫んでからくたびれたジャケットを羽織って何処かに行ってしまいました。
暖かい海に溺れていなくなりたい。こんなことを考えながら時計を見続けます。私と時計の対角線に昔彼がいたずらで作った首を絞める縄がありました。その穴から覗く景色は小学生の頃理科の実験で使ったルーペで覗いた景色の様です。私は彼の真似事で煙草に火をつけてみましたが甘ったるい臭いが合わなくてすぐに消しました。
また私はヘッドホンをつけて街に出ます。どうせ死ぬ勇気も無いのだからせめて死んだ様にふらついていようと思った日でした。

家に帰らず帰省する飯

3日目。脛をしゃぶり酒を食らう。

やる事と言えば老衰した犬の散歩に行くぐらい。あとは飯作るぐらいか。

流行りのドラマがリビングで流れている。

それを見ながらビールを飲んでいる。

明日の朝には北陸に戻るんだが現実感がない。

二週間後には二度目の三年生が始まる。それまでに何かのキリをつけなければいけない。

酩酊しかけている頭ではまともな事は考えれないが日々は待ってくれない。

これから来る一年間に備えて唇を噛み締めながら二年間を無駄にしたと懺悔して日々を過ごさなければならない。

こうやって文章を書いているときはまともな事を書こうと努めるが何もしていない時はただただ眠って時間をやり過ごしている。

なんとかしなければならないな、なんともする事はできないが。

上を見れば様々な方法で崖を登って行く人々。下を見ても地面。底に落ちて死んでしまえたらどんなに良いだろうと思うけれどここにいる僕には底に落ちる資格もない。
僕には人が登って行く崖が砂の壁にしか見えない。捕まる場所などどこにもない。登り切る人は努力ある人。登り続ける人々は勇気ある人。どちらも無い僕には登る資格は無い。少しだけ登って落ちて死んでしまおうなんて甘い考えは受け入れてもらえない。
僕は登る人登りきった人たちが太陽に見える。光源を持つ彼らはどんどん上に登っていった。彼らが登っていくたびに光源を持たない僕の周りは暗くなって、今ではもう崖が何処にあるのかもわからなくなった。
崖があるのかわからなくなったのが不安で少し歩いて手を伸ばしてみるも何にも触れない。もう崖は無くなってしまったんだろう。僕はこの底で無いものにされている。しかし自分が自分を認識しているものだから消えてなくなる事を容認してもらえない。ただ一つ確かな事は僕はまだ立っているという事だ。僕だけが底にいる。底が残っている事に惨めさを忘れない様にとの配慮を感じる。
時々鈍い音がする。勇気ある人が手を滑らした、または力尽きてしまって底に落ちてくるのだ。僕はこの存在を分けてあげたい、いや全て渡したいとすら思うのだけれど、それは崖に挑み続けてきた人への冒涜になってしまう。僕なんかの存在を押しつけられたところで勇気ある人々が汚れてしまうだけなんだ。
結局の所、僕は自己犠牲の様に今話した事を謳っていたが自分の存在を他人に押し付けて放棄して死んでしまいたいだけなんだ。何処までいっても卑怯者。卑怯者は和を汚す。卑怯者は楽にはしない。この暗い底で永久に暗澹としているしかないのだろう。
あの時勇気を持てば。なんて考えてももう遅い。蜘蛛の糸は垂れてこない。だって僕の事を認識しているのは僕しかいないようだから。永遠と惨めであれという罰を受け続けるんだ。いや、罰ですらないのかもしれない。罰すら与えてもらえない僕なのだ。

花粉症じゃないと思っていた

花粉症の時期になるとくしゃみをしている人が多くなる。そんな人達を見ていて大変そうだと毎年思っていたが、今日外に出てみると鼻がむず痒くてくしゃみが出る。

車通りの少ない下宿から実家に帰ってきた為排ガスに鼻がやられたのかもしれないが店でくしゃみが止まらないのは少し恥ずかしい。

実家に滞在するといっても3日しかいないのだが特にやる事もないので家でダラダラとしてfgoをやり続ける。バイトのない時の下宿と同じだ。

そろそろ髪を切りに行かなくてはとシャワーを浴びるたびに思う。三ヶ月か四ヶ月ほど髪を切りに行っていないので女性のボブカット並みに髪の量がある。そのせいか色々な人に太った? と聞かれるがおそらく日頃酒を飲み続けているのでその所為だ。

あまり良くない。大学を四年で卒業できないゴミがこんな事をしてていいわけがないのだが。

また何かを変えようと思ってあまり好きではなかった楽器を触り、曲を作ってみようなんて思ったりしたが才能もないので何も思いつかない。

無駄に所有年数だけ増えて技術は全く進歩しちゃいない。俺が行う事なんてみんなそんなもんだ。それがまた虚無感を誘う。

人と関わりのない世界に生まれたら、食べるものもなくてすぐに死んでしまうのかな。

あーくだらない。取り留めのない愚痴が増える。

くだらないなぁ、終わり。