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髪を切りに行くのが面倒で

雑記とか趣味とか一般公開されてる自分のメモ帳みたいなものです。Twitter//@srRiLiyou

エモいだとかエモくないだとか

最近エモいという言葉が流行っている。感動するだとかそのような意味合いだ。

僕の中であるエモってのはナヨっとした男が叫びながらバンドをしているっていうイメージなのだが今では猫も杓子もエモである。

JPOPから会社のプレゼンまで全てエモ。2ちゃんねるのトップページみたいだ。会社の社長がエモって言葉を知っていたのは驚きだがなんだか違うなと思ってしまう。

これには自分の中のデリケートな部分を踏みにじられる感覚がして”エモい”という言葉が嫌いだった。「いい」とか「くる」とか言ってりゃあいいものを。まあでも今ではこの言葉が市民権を得た事には何も思わないし、自分より3つも4つも下の子らがエモいエモいなど言っていても揚げ足を取るわけでもないしニコニコと笑っているだけだ。

そもそも今周りの人間が使っているエモいという言葉は広義すぎる。悲しいだとか寂しいだとか楽しい悔しい、全てエモだ。エモーショナルが語源なんだから間違っちゃないと思うけども渋エモだとか哀エモだとかそれは渋い、哀しいじゃダメなのか。

自分自身はやはり日本の小難しいバンドからマスロック、エモと遡ってきた為、叫ぶようなボーカルにクランチ調のアルペジオが鳴っているそんなイメージがある。だからこそ悪いがbacknumberとかがエモいなんて言われていると反吐が出る。

モテない奴が叫び続けるのがエモじゃないの? backnumberとかの気持ちがわかんないからバンドやってんだよ。

音楽以外にもエモいって言葉は波及している。社会人のプレゼンでも出てくるらしい。(そこの会社の人間が音楽に詳しいともあるが)

プレゼンがエモいってなんだよ、わかんねえよ。そしたら俺が飲み会でダラダラ喋ってる言葉もエモいだろうが。

エモいって言葉嫌いだ。広義的すぎてその時の感情を明確に保存できない。

「あの時はめっちゃエモかったよね~」

それは一体喜怒哀楽のどれだよ。日本人で言葉に恵まれてんだからもっと正しい表現を使って言葉を楽しめよ。

脱線するが「よさみ、深み、…無理、尊い」とかいう最近のオタ語嫌いだ。単純に自分の感覚で気持ち悪い。

頭が悪すぎる。

エモいって言葉は嫌いだがこれで人が音楽に興味持てるならいいんじゃない?

音楽が好きな人達はどうしてもこの言葉に会う事になるが使うか使わないかは人それぞれだ。エモい音楽にはエモいって言っていけばいいと思う、使いやすい言葉であるし。

まあ、俺は使わねえけどな。

晴れている毎日

最近暑い日が多い。

晴れていて何も困ることはないけど自転車で出かければいい距離(例えば大学)ですら車を使ってしまう。

暖かくなれば気持ちも上向くのだろうかと思ったがそんなことはなかった。日向は鬱陶しいし、暑いし、汗をかけば人目が気になるので悪い事ばかり。

近頃友達に会うことが多くなった。飲みに行くことも多い。

飲みに行けば就活や大学の話になるのではないかと考えて避けていたがそんな事はなかった。下らない話を永遠としている。そのときは真剣に話をしているのだが帰ってしまえば何も覚えていない。

今年度に入ってから慢性的に飲酒を繰り返す私は一人でいるときは直ぐに眠くなってしまうのに人と飲むと何をしていたか覚えていない程飲み続けてしまう。ストレス発散にはなっているのだろうけど次の日には反動で虚しさばかりが襲ってくる。

元来悩みを人に打ち明ける性格ではないので気の置けない奴らとの飲み会ではない限り聞き側に徹してしまう。

ある女が友人と喧嘩をしたらしいという話を永遠としていた。

「向こうが勝手に泣いちゃって、周りにいる人間も泣いてるあの子の味方。 ほんと泣いたもん勝ちだよ」

ああ、この人は肯定してほしいんだろうなと思って肯定を繰り返す。その場に居た訳ではないから真偽の程は確かではないけども、これぐらいの年代の人間ってのは味方がいるってだけで十分な悩み解消になる。

自分は「どうでもいい、くだらない」という言葉を抑えて、是でも非ない言葉を繰り返す。人は主観で話すし、どうしても自分が悪くないという立場で物を繰り返す。神様でなければ審議は出来ないのだからせめて話し手が気持ちよくなる時間を作らなければと思う。そんなことをしているし、考えているから自分への重たい重たい泥が溜まり続ける。

それ自体を人を使って吐き出す方法を知らないものだからこうやって誰に見られているかもわからないネットで愚痴を独り言のように漏らすか、何か他のストレス(漠然とした不安や焦燥、虚無)を馬鹿話で吐き出して、他人の泥を受け入れるスペースを作る。

自分は美人だとは思わないが八方には調子がいいと思う。三年間付き合ってきたグループで嫌いな人間が居ても一度も億尾には出さず、この間初めて同じグループ内の一人に「実は苦手だったんだ」と話すととても驚かれた。

 

人に会うのは疲れるけど人に会わないのは寂しくておかしくなりそう。

最近とても思う。家にいる一人の時間は気楽だが空しい。

 

明日もバイトに行く。そして休憩中に社員の愚痴を聞き続けるのだろうなと考える。

ビールと焼酎を飲んで寝るとする。

不安だ

虚無ってのはすごいね

これから何をしていいのかわからない

二本の煙

今、自分の部屋には日本の煙が立っている。吸いかけの煙草と甘ったるいお香。ゴミ溜めと化した部屋の匂いを誤魔化す甘ったるい香り。それを台無しにする煙草。

相変わらず部屋の掃除は出来ず、バイト先のくさい匂いとゴミの匂いが少しでもマシになればと買ったお香はもうそろそろ尽きようとしている。

ファッションに一片の興味を持たない自分はお香の知識など全くなく、量販店に並んでいるお香の中で「落ち着く香り」と書いてあった物を手に手に取った次第。荒んだ心が思い込みでもいいから少しでも静かになればいいなと思って買った。効果はどうかわからないが、小学生の時盆と正月に祖父の家にいた時の匂いがする。その頃を思い出すので落ち着いた気持ちに少しでもなっているのかもしれない。

四月が始まり二週間がたった。高校の同級生は社会に馴染もうと必死でいる。負けたりもしている。大学の同級生は社会の輪に入ろうと必死でいる。負けたりもしている。自分は落としてしまった何かの変わりに何かを掴もうとしている。負けている。

最近は自分と同じ年のバンドを聞いている。彼らは二十代に入る前か入った時には自分の成し遂げたい事を明確にして今を生きているらしい。インターネットの記事でしか知らない事だが。

そんな彼らはとてもいい歌を歌う。自分は一体何をしていたんだと考えてしまう。彼らには才能があるからと言い訳をしてしまう。才能もあるだろうが努力の成果であるのに。自分を棚に上げてしまうのだ、悪い癖だ。

もっと楽に生きなよと携帯の液晶の一文が言う。人から見たら自分の生活は楽に生きているのだろうが自分はどうしようもなく駄目な人間なので楽に感じでいない。

誰かに助けてほしいと思ってしまう。

自分は今の現状に納得いっていないのだと思う。自分で招いた事態であるのに。

決断力と夢がなかった自分は流されるままここまで来ている。これもまた言い訳かも。

それでも、それでも自分はここに居ることが最良だったのかと考えてしまう。もう少し強固な感情があればと思ってしまう。後ろ向きな性格でいるから考えてしまうんだ。この選択は間違っているんじゃないかと。

戦う人へと同世代のミュージシャンは歌う。俺には聴く権利はあるのだろうか?

権利はなくても聴かせてくれ、とてもいい曲なんだ。明日もまた目覚める為に。

www.youtube.com

またあの夢の終わり

君も僕も疲れて

この街にいるなら

いつもの坂の上で待ち合わせしよう

物を面白おかしく伝える人になりたい

自分は面白おかしく色々なことを描ける人が羨ましい。

何も持っていない自分は人間としての厚みもなく、嘘をつくのが下手なのも合わさって表現をする事が不得意だ。

ラインやらTwitterのリプライやらも考えて返してしまうためレスポンスが遅い遅い。実際にあって会話をした場合は笑顔でごまかすことも多い。

自分の話を急にする事ができなくて、自慢話ばかりをする人を疎ましく思う一方羨ましくも思っている。自分には出来ないから。

「俺は最近〜があって、〜して〜をやってやったんだよ! 他にも……」

「そうですよねー、あー、面白いですね、ハハハ」

とても息苦しくなる。俯瞰している自分が『本当は嫌な癖に受け答えしちゃってまあ』と笑っている。

人との付き合いを立てるほど勇気のある人間でも無いのでダラダラと何十回と聞いた話に「それこないだ聞きました」とも言えず。

そんな人間になるまいと思って過ごしているからもっと喋らなくなるのかもしれない。

 

バンド音楽を聴いていて

最近は知り合いの楽しそうにしている様や就活が大変だという不幸自慢を見たくないのでTwitterを閉じてバンド音楽を聴いている。

高校生の頃と比べて新しいバンドを探すという作業にエネルギーを使えなくなっていて、音源も中々手に入らないので自分のライブラリにあるアーティストを聴くかApple Musicで出てくるものを聴いている。

いつも思うのは年齢。才能ある人々は22、3そこらで表舞台に出てくる。

彼らは相当の数のライブをこなして、自分の目標に向けて曲を書き溜めては演奏してを繰り返してきたんだろう。すごい事だ。

そんな彼らを見ていると自分がしょうもなさすぎる。

大した目標もなく、ただただ漫然と目の前の事を受け入れている。こうして誰も聞いてくれない愚痴を書いている時も音楽を流している。

自分自身を表現する彼らは強い感情を持っているんだろう。怒りやら悲しみ嬉しさ憎しみ無力感。

その感情に負けない様に、その感情が爆発しない様に。音楽に加工してアウトプットしている。

俺は無力感や虚無感に負けてしまった。自分程度の人間は何も成せないと。

単純に羨ましいのもある。

 最近大学の先輩がやっているバンドが評価されつつある。といっても狭い地域だけだが。

自分がインターネットで知ったバンドが売れていく様は自分の想像が多くを占めていて自分が思った道を通ったとは限らない。現実感がない。だが先輩のバンドは先輩がどんな人でどんな始まり方でどんな活動をしているかを知っている。

自分はやはりお金を出していくのだから良いと思ったものしか見たくはない。最初の一回は見極めのつもりで行ったが率直な感想を述べるとその時は全く良くなかった。

同じ構成の曲ばかり、目立つミス、空回りしているMC。普段自分が聴かないジャンルだからというのもあったが、ただうるさく退屈で眠たかった。もう行く事は無いなと素直に思いライブハウスを去った。

だが最近そのバンドを見る機会があった。あまり期待せず見に行ったが、これが想像以上に良かった。

曲も同じ構成ばかりではなくなり、自分自身の表現を聴き手側にすんなりと聴かせるキャッチーなものになり、尚且つ自分自身の好きなジャンルの物も取り込んでいる。場数をこなし慣れてきたのか妙に肩肘を張らずに普段人に話しかける様なMC、だけども感情的な一文を話してから始まる曲。純粋にその企画のベストアクトだと思った。

期待していなかったので後ろ側で見ていたが、みるみるとドリンクカウンター側からフロアに人が集まってきていた。

今まで聴いてきたバンドで曲は良いのにライブは良くないというバンドは多かった。そういうバンドはほとんど売れずに解散していった。

俺は先輩らのやっているバンドに可能性を見てしまった。地方だけの幻想なのかもしれないが、成功していくのかもしれないと思ってしまった。

そう思うと自分がどんなに小さくて努力をしていない人間であるのかわかってしまう。吐きそうになるぐらい虚無感に襲われる。羨ましいと叫びたくなった。

雑考

大きな声で笑う人たちが嫌いです。とても下品に威圧しているみたいで心がざわつきます。私は小心者ですので大きな音に驚いてしまって身動きが取れなくなってしまいます。私はヘッドホンをつけて街を歩きます。突然の大きな笑い声も、私を笑う小さな悪口も、何もかもが聞こえなくなるからです。とても安心します。母親の胎の中とはこういう感じなのでしょうか。母親は私を気にかけている気がします。多分気にかけているのだと思うのですが私は否定されている気がしてなりません。私には価値はないのだろうか、などと考えてしまうのです。なので私は母親の胎の中に還ることしました。5cmほどの壁を当てて音を流すだけで外界のすべてがシャットアウトされて気持ちよくすらなってしまいます。どうして私は生まれてきてしまったのでしょう? 意味は特にない気がします。有限であるリソースを食い潰すだけの私は価値がありません。必要とされた事は無いのですからこれからも無いのでしょう。
こんな事を考えながら私は母の胎の中に入ったまま街をいきます。街には色々な人がいます。せかせかと革靴を鳴らして歩く人、この世の終わりを待って空を見ている人、笑いながら電車に飛び込む人、地面に落ちる希望を探しながら歩く人。様々な人がいます。私は気分が悪くなって道端に吐瀉物を撒きます。こんなことなら人なんて存在しなければいいのに。いや、一人一人誰とも関わらないで生きていける場所に逃げ込めばいいのです。くだらないね、と煙草を喫む彼は言います。私は今日も彼に身体を許します。どうしてもヘッドホンを外してしまうのでとても不安にはなるのですが人肌に触れることによって子宮の中を感じる事ができるのでトントンです。彼はまた煙草を喫んでからくたびれたジャケットを羽織って何処かに行ってしまいました。
暖かい海に溺れていなくなりたい。こんなことを考えながら時計を見続けます。私と時計の対角線に昔彼がいたずらで作った首を絞める縄がありました。その穴から覗く景色は小学生の頃理科の実験で使ったルーペで覗いた景色の様です。私は彼の真似事で煙草に火をつけてみましたが甘ったるい臭いが合わなくてすぐに消しました。
また私はヘッドホンをつけて街に出ます。どうせ死ぬ勇気も無いのだからせめて死んだ様にふらついていようと思った日でした。